タイトル4
ホリデー西ヶ丘vol.155


令和2年12月上旬号

(このウエブマガジンは職場内の多くのサポーターによって、細く長くをモットーに不定期、月に1~2回を目安に制作されています)


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●夜明けのアヒル(編集部)

年の瀬です、激動の2020年がまた数を増やしてゆく瞬間です。それにしても今年は世界史の中でも一つクリップで止められるような特異な一年でした。まだこの全体像の見えないパンデミックは終わったわけではありませんが、じわじわした感触が不気味です。


何が正解で何が過剰で不足なのか、それは時を過ぎなければ誰にもわかりません。自分の人生の中には、本当に色々なことが起きるものなのだなと感慨にふけるわけですが、あの戦争の時代に重ならなかったことの幸運。


とにかくあの戦争時代に時を過ごし人生を翻弄され、命が弄ばれた人々には深い同情を禁じえません。そして平和な時代に生きる今を感謝するのです。感染症で揺れ動く日々ではありますが、国や組織が冷静にことに対処できる気持ちのゆとりは、かけがえのない幸運であり財産だと思えるのです。




ーーーーCONTENTSーーーー


1、私も一言

 「マスク生活」

  カーマイン神山


2、シネマフリーク

 「グラン・トリノ」クリント・イーストウッド監督作品

  シネマ次郎


3、私も一言

 「習い事の自分的マナー」

  春夏秋冬


4、音楽の話

 「イベントは全滅!」

  アンサンブルYOSI


5、バドミントン事情

 「社会人、そして学生、実業団」

  シャトル男子


6、私も一言

 「マイクタイソン54歳」

  六花ビリー


7、ボルダリング レポート

 「油断」

  炭酸まぐねしうむ


8、時計仕掛けのりんご

 「心変わり」

  鈴木義延





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1、私も一言

 「マスク生活」

  カーマイン神山

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こう四六時中マスクをしている生活って、とにかく人と人との付き合い方が微妙に変わってきますよね。なんだか人との関わり方が無機的になってきたと言いますか、ちょうどスマホのメッセージでいろいろなやりとりができる反面、相手の声を聞くことが少なくなったのと同じように、お互いが相手の表情を読み取らなくなったんです。同時に自分もその都度表情を作る必要がなくなったということなんです。


これって最初は随分戸惑ったんです、相手の感情がわかりにくいと。でもそれが日常化して来ると、その感情のやりとりは次第にどんどん薄らいでゆき、事務的なやりとりだけでなんでも済むようになってしまうんです。それは慣れると楽なんです。


あなたに敵意はありません、あなたに好意を持っています、こちらはごく普通の人間です、不安定な気持ちでいるわけではありません。そんな言葉以前の情報は、普段相手の顔の表情で察知して対応しているわけですが、そういうやりとりに使うエネルギーを消費しなくて良くなってしまうんです。


その都度人との関わりに表情を作らなくていい!これって、いいのか悪いのかは別にしてこのコロナ時代の常識になって定着してしまうとなると、寂しいですよね。きっとなんらかの反動が別な形で出て来ることでしょう。


それにしても、見つけましたよ、「マスク専門店」!!!もはやこうなりましたかと小さく驚きました。マスクで一つのショップが成り立つんだと感心したのです。自宅近くに雰囲気の新しい「洗えるマスクの専門店」とのキャッチコピー、これは一度入ってみるしかありません。




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2、シネマフリーク

 「グラン・トリノ」クリント・イーストウッド監督作品

  シネマ次郎

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アメリカの片田舎、保守的な白人老人が一人で暮らしています。自分が若かった頃に手に入れた、アメリカや自分が輝いていたとノスタルジーに浸る時代に手に入れた「グラン・トリノ」という車、それをを磨くのが最大の楽しみという頑なな老後。彼は次第に街の中に増えてきているアジアや中東の移民にはいい感情を持っていません。自分の街が変質してゆく姿に不快感を持っているのです。


移民の子供たちは未来の見えない悶々とした生活の中、反グレ集団と化して暴力や薬物を扱うグループとして闊歩しています。そんな中自分だけの生活を守り続けることで過ごす老後、そこに他者が嫌でも関わって来るのです。


そんな状況の中で、少しづつ変化していく老人の心、その展開がとても無理がなく滑らかで心地よい。とても観賞後の後味がいい作品です。監督のセンスと脚本が良くできているなと感じます。


クリントイーストウッド監督作品は、「ミリオンダラーバイビー」など後味の悪いものもいくつかあるのですが、この「グラン・トリノ」はとても好きな作品です。彼の姿を「ローハイド」の時代から見ている世代として、とても共感が持てるのです。もう一度見たい作品の一つです。




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3、私も一言

 「習い事の自分的マナー」

  春夏秋冬

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私はいつでも一つくらい習い事をしていたように思います。たいしたものではないのですがお料理だったりちょっとした服飾作りだったりスポーツやダンスだったりします。すぐに退散したものもあれば今でも長く続いているものもあります。


そんな時自分にいつも言い聞かせているのは「自己否定しない」ということなんです。やっているそのことを百%肯定的に自分に語るというのが、興味を持続させるコツなのかもしれません。


どういうことかと言いますと、今自分がやっていることには意味があると言い聞かせることなんです。どんな分野でも新しく始めたり何かを継続していたりすると、「こんなことは無駄なんじゃないか」とか「もっといいやり方があるのではないか」、まあそれはそうなんですけど、「意味がない」とか「これじゃあダメかも」とか、次から口に湧き上がって来る否定的な言葉を、一切受け付けず「これでいいんです!役に立っているんです、効果があるんです!」と自分に言い切るようにしているんです。


社会生活ではそう「自己中な自分褒め」は勧められませんけど、こと自分の趣味などの分野では、誰憚ること無くそうするようにしているんです。それがアプローチを長く継続できるコツのように思えて。


ということでいまだにいろいろ習い事をしては時を過ごしています。現在は創作ダンスの「ズンバ」がお気に入り。宇都宮市体育館で参加してます。



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4、音楽の話

 「イベントは全滅!」

  アンサンブルYOSI

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このコロナ禍、イベント自粛の始まりは、昨年2月1日に予定していたジャズバンド教室発表会が最初でした。半年前から準備していたジャズバンドをバックのソロアドリブ披露、たくさんの人たちが関わる催しで、入念な練習の積み重ね、まさかまさかの中止の知らせでした。


すぐにこの騒動は終わることでしょう、春になって暖かくなれば終わっているはずです。そこで5月の末に計画されていた「ミヤストリートギグ」への参加。これもまた多くの人の協力や準備、そして演目の練習。それもまた数ヶ月の間、関係者はそれぞれの役割を担うべく奔走し、参加者は演目の完成度を高めるべくすり合わせに時を費やしていたのです。それは2ケ月前に中止が決まりました。これにも落胆しました。


もう当分この手の演奏会は開くことができそうにないと誰もが感じ、自粛し、普段の個人練習で悶々と過ごしていたのです。しかし音楽演奏が趣味の人たちにとって、発表の場がないというのは、なんだかとても整合性の悪いストレスフルな状態なのです。誰かに聞いてもらいたい!それは普段の苦しい練習を正当化する唯一の拠り所でもあったのです。


それなのでこの12月、十分なコロナ対策をとって、観客の入場制限、座る場所の間隔、演奏者は全てマスクやフェイスシールドと演奏者間の距離の確保、会場の換気、大きな声を出さないように歌や掛け声の廃止、あれやこれや思いつく対策をこれでもかと試行しての管弦楽アンサンブル演奏会が計画されたのです。


それがこの第三波!と言われる感染者拡大の状況により、やはりというか、あえなく会場使用の自粛、2週間前に急遽中止が決まりました。リモートでネット中継するほどの財力もシステムもありませんから、また次の機会を夢に見ながら、ひたすら個人練習で時を過ごすのです。オリンピックですら中止になってしまった事態ですから、私などの趣味などなんの意味もないのですが、それにしても不完全燃焼の日々が続きます。



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5、バドミントン事情

 「社会人、そして学生、実業団」

  シャトル男子

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知る人ぞ知る、宇都宮市はバドミントンが日本中でもかなり上位にランクされる「バドミントンの街」なのです。特に社会人女性たちのクラブ活動と活躍はめざましく、女性たちの全国大会では何度も「日本一」「上位3位団体」という結果を残しているのです。


学生たちも活躍しています、ことの発端は1980年台の「栃の葉国体」にあったようです。その準備のために参加選手の強化が行われ、それが功を奏してて良い成績を残し、そこで強化された人材がその後の社会人クラブ運営の中心となりレベルを上げていったのだと。


街には50以上のクラブがあり、午前、午後、夜間と、一日中街中の体育館はクラブ活動であふれています。私も社会人クラブでバドミントンを楽しんでいるのですが、世代は今まで以上にシニア層の参加が増えています。バドミントンはレベルに合わせたゲーム展開が可能ですから、若い方からシニア層までを吸収できるのです。


街のバドミントン専門ショップ(ななは、グリップ)では各種講習会を開いており、誰もが初心者として入門できるシステムが出来上がっています。中級、上級とそれぞれオースがありますから、どのレベルでも自己強化ができて張り合いがあります。現在は市民大会は自粛していますが、本来なら毎月のように各種ランク別社会人大会が開かれていますから、対戦相手に事欠きません。


今まで入門用の教室は市の体育事業として年に何回か開催されていたのですが、1990年台半ばからその行事は終了してしまいました。ですので民間のショップがそれを担い、きめ細かな指導が行われて現在の隆盛を支えています。興味のある方はぜひ私たちの仲間となって、いつか対戦しましょう。



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6、私も一言

 「マイクタイソン54歳」

  六花ビリー

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マイクタイソンが54歳という年齢にもかかわらずまた試合をやる、と聞いたからにはほっては置けないネームバリューを彼は持っている。全盛期の彼のあの破壊力、ダイナマイト!ダイナマイト!鮮やかにノックアウトを決める彼の怪物ぶりは試合が物語っていた。


悪役ぶった態度は表情も彼をカリスマに担ぎ上げる要素だった。一般人の感情移入を寄せ付けない遺物感が彼を包んでいたからだ。彼は特別な人間、ボクシングの異例の大スターだ、私にとっても。


どんなスポーツ選手も全盛期を過ぎればその競技を離れてゆく、彼も次第にメディアから注目されない人物となり静かな時を過ごしていたのだろう、そういえばすごいいやつがいたんだよなと忘れかけていた時、いきなり「メイウエザー&マイクタイソン」の対戦が現実のものとなった、彼は54歳という歳で。結果は引き分けという、全盛期ではありえないような結果だったが、それはそれで善戦したと思う、彼なりに一生懸命出し尽くしたんじゃないかな。半端なことをするキャラには思えないから。


彼がボクシングを始めるきっかけはなかなか辛いエピソードが語られる。病弱で友達のいなかった幼い頃、自分が大切に飼っていた犬をいじめっ子たちに連れ去られ殺されたという話がある。強くならなければ何度もこんな悲しい思いをしてしまうと自分を鍛え始めたという。


その後彼自身が野獣のように恐れられ、内面などないかのような破壊マシーンとして君臨していたのだが、彼の内面は他者を痛めつけることの恐怖と罪悪感を強く溜め込んでいたらしい。


現役選手を離れたのちセラピーを受け、初めて40台の頃そんな内面を他者に語ることができるようになったと、テレビ番組でレポートされていた。子供たちにボクシングを教えたり、柔和な表情で他者と触れ合う姿はまるで別人のように見えたものだ。それがまた戦いの修羅場に帰ってきた!


そんな彼の複雑骨折した心情を垣間見るような試合だった。男ってのは納まりが悪いものなのだ。




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7、ボルダリング レポート

 「油断」

  炭酸まぐねしうむ

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ちょうど2年ほど前、何だか多少勝手がわかってきたのかなと、ボルダリング の自分の課題をこなしている時、「もうここはいっきにいける」と、一番高いところにあるゴールに飛びついたことがある。


しかし飛びついてそこに、手掛かりがあるはずの場所には何も体を支える突起物はなく、ツルッとした平面であったことが、滑り出した掌の感触で分かった。わかったその時は後の祭り。


そこでしっかり体を支えられるつもりでいたため、体全体に落下に対する準備がなく、不自然に上半身が下になったまま最上部から落下、強く下のクッションに叩きつけられた。そのショックはかなりのものだった、一瞬気を失い、つまり脳震盪状態、でも数秒後に意識は戻り何が起きたのかを理解した。


10秒、20秒静かにしていたらとりあえず体を動かすことができたためそろそろとそこを離れることができた。近くにいた人に声をかけられたが、何とか「大丈夫、大丈夫!」と言って待ちスペースの隅に体を横たえた。


幸いその日は数人の利用者しかいなかったため、そんな姿を晒すのはほんの少しで済んだわけだけど、スポーツにはそんな怪我や事故はつきものさ。他の人もそんな落下シーンを時折見かけるもの。よほどのことがない限り助けには行かない。特に上級になればなるほど高いリスクが伴うので失敗すると派手な落ち方になってしまう。


その時のアクシデントは全くの「油断」だった。だからそれ以来どんな小さな、そして確実だと思われる動きも慎重になり、「できるつもりでカッコつける」ような動作を極力なくすようにしている。だからその後そのようなシーンは極力減ったつもりだった。


そして先週、まだ床から1メートルほどの、最初のとっかかりから3手目、くらいの場所で、そこは普通まだ体がリラックスしている準備モードの位置で、いきなりとても不自然な落下をしてしまった。


そこでは全く体が準備されていなく、まさかこんなところで手が剥がされ、体が支えられなくなるような場所ではなかった、だから本当に心の空白がそのまま体に出てしまったんだ。


大した落差ではなかったのに、足が残った姿勢でのダメージは大きく、強く首を捻るように打ち付けてしまい、これも意識が朦朧としてしまった。両手足をゆっくり動かしながらダメージを測定し、何とか10秒くらい後に動くことができたのだけど、右手が少し痺れていて不安が残った。


その一瞬の空白に、一体今何が起きたのか、それを繰り返し記憶を辿って反芻し、たった数秒のその動きを自分の中で何倍にも引き伸ばし、体の動きと意識の推移を濃密に振り返る。原因は油断だったのか、いやそうではなかった、なのになぜ?と自分に繰り返し問わずにいられなかった。なぜ?なぜ?


今の姿勢で、このタイミングで足がずれるはずがない、だから指先の力が少し緩かった。動き出しは足の滑り、それもほんの1センチの滑り。それが指のとっかかりを外すことになり、さあこれからその上に飛びつくぞという体の動きを、いきなり全く別なものに変えてしまった。そこに読みの空白があった、と思う。


落差は大してないのになぜこんなに体が苦痛を訴えている?


その日はそれで練習をやめ、自宅で静かに時を過ごした。痛みと痺れは3日目にようやく鎮まったのが安心材料だ、とにかく心に少なからずダメージを抱いてしまったのさ。


それから1ヶ月が過ぎ、何とか回復したので再度トレーニングを続けているのだけれど、あの「空白の一瞬」は深く意識に刻まれ、「この感覚は忘れてはいけない」と自分を揺すっている。気の持ち方なんだけど、とにかく「一瞬一瞬気を抜いてはいけない、危機意識を高いレベルで保って緩めてはいけない」といい続けているわけ。


スポーツは楽しいけれど油断は禁物、心の空白も禁物、奢りや散漫を誠実に自分に対して排除することを怠ると、手痛いリスクを呼び寄せることになる、それをしっかり学んだ気がする。力不足や油断以外のリスクがある、そのことが自分にとって大切な発見だった。




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8、時計仕掛けのりんご

 「心変わり」

  鈴木義延

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蜜月時代、国や組織が濃密な協力関係にあるような時にそう形容されます。国と国に限らず、集団と集団、人と人の関係は常に揺れ動いており、春夏秋冬、変転を繰り返すものです。個人的には「三つ子の魂百まで」という言葉はかなり確かな真実だという印象がありますが、人は変わらない?と思いながらも人の心は変わっていく、というのも偽らざる現実でしょう。


男女の中というのも変動要因の多い関係だと言えます。ただの利害を超えた本能的深層心理的吸引力と反発力のある、とても複雑で強力な磁場に包まれた関係です。そんな中での関わりですから正解などありません。たくさんのドラマが人類始まって以来延々と星の数以上に繰り広げられています。


婚姻関係においてはその社会的な影響力の大きさから、様々な法律上の手続きやペナルティーが創作されていますが、野放図なのが友人関係というやつです。これもまた変動要因は多く、常に何らかの打算が張り付いているもので、それはそれとして許容される関係です。無論人間的感情がその接着剤であったり阻害要因だったりするわけですが、何の強制力はないために常に流動を繰り返しているようです。


人は心変わりする生き物、そう割り切っていても、それまで信頼していたり好意を持っていた対象が、次第に信頼を裏切られたり、心の反応の変化に振り回されたりして、変質してゆく経緯を自覚するのは辛いものです。また一人友人を失ってしまった、そう思える出来事も何度かありました。


でも仕方ありません、それぞれの置かれている状況は変わってゆくものですから。その時その時の最適解がもたらした関係であるなら、その諸条件が変わってしまえば成り立たなくなるのでしょう。どちらが加害者、被害者という関係ではなく、場そのものが変質していったのだというのが客観的な視点です。


でも、それでも割り切れないんですよね。男女の中であれば終わりはありえると思えても、こと知人友人的な関係も好き嫌いや遠巻きな打算などで、たやすく変わってしまうことの現実。


歳を取ると誰もが口にするのは「人は結局一人なのさ」という諦念です。そこにたどり着くしかない普通人の諦めは、たくさんの心変わりの行き着く場所なのでしょう。ただある時期の暖かい記憶だけは、終生消えることなくあり続けるのは確かで、それは救いです。「あの頃はよかったな」と、一人呟く時間が増えました。




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(編集部より)

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